自己発見

瞑想を実践し続けることでうすうす感じてきたことは、お腹の下腹に感じる何か。これを私は自分自身は無の自分と思っております。
 地位、財産他エトセトラは時代が生んだ衣装のようなもの。自分自身であるわけがありません。思考も衣装のようなもの。生活上のあれこれに思いいたることも雑念。
そこで思うのですがこの無の自分をしっかり感じながら、仕事なり、趣味なり目の前の事にひたすら無心にぶつかってゆく、その時の自分を自己実現と発見といっても
差しすかえないかと思います。